あれから数日が経った
フロータードパレスタにもたらされた激甚な損壊は、央都政府の尽力によって急ピッチで修復が行われていた
住民はまたこの様な事が起きるのではないかと不安を募らせていたが、それでも死傷者ゼロという結果は、次第に心を麻痺させ、今ではただの天災だったのだろうと扱われる様になった
そう、あれはただの天災
そういう目を疑いたくなる様な光景に蓋をして目を背けるのを、麻痺と表現するのは何ら間違いでは無いだろう
別の世界ではれっきとした人災なのだが、この国では人外という呼称がまかり通らないので致し方無いともいえる
人の形をしたナニカ。それは果たして人と呼称して良いのか?
トウマの国は獣人も機人も妖精も人間も人であり、つまり「人」以外の呼称が無い
なので理解出来ない事象が発生源なら、それは人災ではなく天災となってしまうのである
ジュネーサ「ふぅ、いかんな。思考の沼に嵌るなと忠告されたのに、考える事が多過ぎて公務を疎かにしてしまいかねない」
此処は孔鉄王国ヒルダガルド
剣帝ジュネーサ=アラトリオンが国主を務める国の最高峰
いわゆる彼の私室であるが、留守にしていた間に大量の書類や封蝋が溜まっていた
国のトップになるという事は、それだけ内政仕事も多いという事である
若い頃は外に出て冒険家紛いの事もしていたが、齢を重ねるとそれも難しくなった
王国は基本的に襲名制ではあるが、ただ王冠を譲られて終わりという訳では無い
あくまで襲名は形式的な物であり、実態は実力で奪えというものである
過去には暗殺や簒奪を企んだ者も居たらしいが、現代ではそれは全て罪科に処される為、知恵や力を駆使して実力を示さねばならない
剣帝はそれを齢二十六の頃に達成した稀有な人物であり、また王国史における最年少での王位継承記録保持者でもあった
だが所詮は井の中の蛙と解り、己がいかに世間知らずであったかを知る事が出来た
・・・とはいえ、閉じた湖の向こう側に大海原が広がっているなど、この重力に囚われた世界で知る術など無い筈である
故に、
ジュネーサ「私は運が良かったのだな・・・」
あの日あの時フロータードパレスタに赴かなかったら
業鎖ノ王と相対しておらず、共に戦った少女も居合わせていなければ
そして何よりも憧れの剣聖と話していなければ
これは詰まる所、偶然が偶然を呼び、必然めいた幸運を呼び込んだ形である
そう、ただの幸運だ。それ以上でも以下でもない。ささやかな幸運だ
ジュネーサ「しかし・・・あの少女、ミラと名乗っていたが。剣聖殿と何やら親しかった様子、それにあの文言」
トウマの国の過去数百年を記した歴史書に次の様な文章が記述されている
『彼女は紡いだ、その文言を。古の時代からずっと繋がれていた天と獄を切り離した偉業にして畏業。』
『糸が解けた様に壁が取り払われ、一瞬空の向こうにナニカが過った。我々はソレを理解出来なかった。彼女以外には。』
『彼女は空を一瞥するとただ静かに紡いだ。私は願う、私は変える、私は―――終わらせない、と。』
その文言が剣帝には些か奇妙に感じた
それがなんなのかは自分にも解らないが、文章中に登場した「彼女」という存在はあの少女に似ているのである
ジュネーサ「(これまでの私なら数百年前に生きた「彼女」と、現代を生きる少女ではイコールにはならなかっただろうが、業鎖ノ王と自身を併せてバケモノと形容した所を見てしまうと、あながちノットイコールでも無さそうだな)」
ジュネーサ「(とはいえ、本人に訊かん事にはただの考察止まりになってしまうな)・・・ハ、やはり悪癖だな、これは」
剣帝は小声で薄く笑った
例え悪癖であろうと、そこが安全地帯ならば問題は無いだろう
自らの行為を半分正当化すると、剣帝はまたも思考の沼に沈み始めた
ジュネーサ「(数日前のあれは骨が折れたが、あの会話には十分得る物もあった筈だ)」
業鎖ノ王が会話の中で言っていた「次元間短波通信」という言葉は、通信魔導のそれと同じであろう事は解かるが
「初期文明時代」という言葉に関しては憶測の域を出ないでいる
何故ならばトウマの国が興ったのは遥か太古の昔
まだ魔導という技術が生まれていない頃にまで遡る
どれだけの時代と文明を経たか、そしてどれだけの技術がその間に失われたのか
一応歴史書という体で編纂事業を行った者は過去に多く居ると記録が残ってはいるが
必ずしも全ての行いが記される訳でも無く、また争いに負ければ歴史には残れない
いわゆる、勝てば官軍、負ければ賊軍というやつだ
そういえばあれは何の書物だっただろうか?
幼少の時分に父の書庫で見つけた絵物語
黄昏色の魔導者が艱難辛苦を越え、誰もが笑って暮らせる国を興す冒険記
ジュネーサ「(・・・おかしい、タイトルを全く思い出せん。内容に魅せられて何度も読み返した覚えがあるのだが)」
剣帝は一人唸る
記憶を削り取られたかの様に、本のタイトルだけがゴッソリ抜け落ちている
黄昏を背景に一人の人間の後ろ姿が描かれていたのは覚えている
だがその人物が男なのか女なのかも覚えが無い
得も言われぬ不安に駆られ無理に思い出そうとしても、ズキリとこめかみが痛み、思い出すなと心の中の誰かが言を発する
ふと、視界の隅に何かの書類に書かれた文章が飛び込んだ
本のタイトルとは直接関係無い、しかし間違い無く人物と接点のあるものの様な気がした
ジュネーサ「(オッドアイ・・・?いや、オッドアイが絵物語の主役になる等、政府が許可する筈が)」
オッドアイはトウマの国で忌避されている
差別も迫害も排斥も淘汰もされている
出所の分からぬ、この世の理を越えた力を行使する魔の瞳
それはこの国の老若男女問わず、誰であろうと知っている事
だが誰がいつそういう風に決め、この世界に浸透したものかは歴史書にも記述されていない
ある日唐突にそうなり、気付いた頃には誰もがそうなっていた
そう、誰もそれを只の一度もおかしいと思わなかったのである
ジュネーサ「(世界規模での認識異常だと?!)それでは最早・・・っ」
侵略されている様なものではないかと口に出して叫ぼうとしたが、ハッとして寸での所で口を噤んだ
安全地帯と言えど、何処で誰が糸を張って聞き耳を立てているか分からないからだ
思考を読み取る魔導は無いが、か細い声でも聴きとれる魔導はある
どんな些末な事であろうと、一度発してしまえば人の口に戸は立てられぬものだ
ジュネーサ「(・・・どんな悪癖であろうと、頭の中にある内は安泰と言えるか)」
剣帝は複雑な表情を浮かべ苦々しく目を瞑ると、静かに重い溜息を一つ吐いた
第三十雨
「祷りは目に届かず、しかして常に其処に在る」
完
