桜花「あれは私がこの街に来て数分もしない頃でした。慣れない石畳で関節がズレてしまいまして、直す為にベンチに腰を下ろしたのですが。・・・その際、胸元が少々開いていた様で、その、鳥に掠め取られてしまいまして」
言いながら段々声量が尻すぼみになっていく
彼女からしてみれば耳が真っ赤になる様な恥ずかしい話なのである
これは恐らく周囲への警戒が足りなかった、もしくは上方への注意不足などに類する話なのであろう
そうなると彼女は何者なのかという話に繋がるのだが、人助けに奮起している二人は気付かなかった
ケイネ「ふむ、鳥か。であるなら、巣に持ち帰っている確率は高そうじゃな。こういうのは大抵屋根か軒下に作っておる可能性がある、高い場所があれば見渡すのに打ってつけなのじゃが・・・」
ケイネは言って周囲をぐるりと見渡した
何処までも同じ軒が並んでいるが、ただ一角だけ遠くに高い塔らしきものが見えた
実際にはどの様な用途で使われているかは分からないが、それは恐らく望楼または火の見櫓と呼ばれる物だ
テレティアの街は央都郊外という立地なのもあって、都市部よりも自然が多く残っており、それ故に昔から火事が多かったらしい
そういう背景もあってか、街には一定間隔で複数の火の見櫓が設置してあるのだった
それに櫓というものは基本的にどの建物よりも高い位置にあるものだ
なんせ何処の路地のどの箇所から火の手が上がっているか、櫓上に居る者は瞬時に判断しなくてはならない
それには周囲に遮蔽物が無く、直線的に視認出来る高度でないと、そもそも櫓を建てる意味が無い為である
ケイネ「あそこからなら全周を見渡せそうじゃな」
ソフィー「なら私が行きますよ。大丈夫、視力は良い方なので!」
ケイネ「うむ、お主が行ってくれるのであれば妾も助かる。妾は年の所為で少し目が悪い故、遠方を見るには適さんのだ」
ソフィー「任せて下さい!」
言うが早いかソフィーは櫓に走った
後ろでケイネが「妾は耳が良い故、大声で叫ばずともよいぞ!」と声を掛けていたが、返事も待たずに走り出したので、それが伝わっているのかは若干怪しい所である
ソフィーは櫓の足元に着くとシュバッと骨組みに飛びついた
苦も無くヒョイヒョイと天辺に辿り着くと、肩越しに街をぐるりと見渡した
この様な簡素な構造体、彼女からしてみれば容易に上り切る事等お茶の子さいさいである
今の時刻は丁度昼を過ぎ、双子の太陽が西へと傾き始めた頃
宝石が巣の中にあるのなら、太陽光は宝石内部のプリズムを通り、七色の反射光を東の方向へ放つ事だろう
つまり・・・
ソフィー「あった!ゲーミング多面体!!」
桜花「げーみ・・・?」
桜花はケイネよりも先にソフィーの言葉に反応したが、その言葉の意味が理解出来なかったので宇宙猫みたいな表情になった
科学技術は発展したが、魔導技術の成長に付随する形だったので、この世界にパーソナルコンピューターは無いのである
無論テレビやゲーム機の類も無い為、ゲーミングという単語も当然無い
ケイネ「ふむ・・・ソフィーの視線の方向から察するに、北側の線が高いかの」
ソフィー「ケイネさん、正門方向に進んで奥から二番目の路地に入って、三番目の青い屋根のお家!」
ケイネ「それだけ聴ければ十分じゃ、あとは任せよ」
ケイネは答えると霧晴れの様に掻き消えた
否、消えた様に見えただけで、実際の所は目にも止まらぬ速度で移動しただけだった
口では何と言おうとこの老婆、見掛けよりも人間離れをしている様である
櫓の上から見ていたソフィーも、数秒程度で目的地に到達し、屋根に音もなく上るケイネを見てわが目を疑った
まるで木の葉が乗ったかの様に屋根の瓦は全く身動ぎもしなかった
ケイネは屋根を軽く一瞥すると、棟の端に丁寧に拵えられた巣を見つけた
どうやら巣のヌシは不在の様である
ケイネ「さて、目当ての物は・・・」
宝石は5cm前後という事なので、目を凝らしてよーく探さなければならない
そこまで考えて、どちらにしろ目が悪い自分では適材不適所では?と思い至った
そうこうしていると指先に何やら硬い物が当たる
自然光を反射して七色に煌めく物体。件の宝石だ
ケイネ「うむ、確かにねじれ双角錐じゃな。落とさぬ様にちゃんと握って、と!?」
屋根から降りようと視線を前方に戻した時、それは猛スピードでケイネの方へと迫っていた
そう、巣のヌシである
見た事無い輩が自分の家から何かを奪った瞬間を目撃した時、家主は何を思うだろうか?
確実に泥棒だと思うだろう。流石にそこで親しい隣人とは思わない
思うと答える人が居たら相当な聖人君子か、ただの阿呆である
兎に角ヌシは飛んで来た。真っ直ぐに、正確に、ケイネの顔面を目掛けて
鳥のクチバシはそこまで硬くないという話は聞くが、それでも速度が乗れば威力はそれなりに上がるだろう
しかもケイネは地面より不安定な瓦の上である。咄嗟の回避は不可能であろう
・・・だがそれは、彼女がただの人であった場合だ
ケイネ「致し方無いのお」
ケイネの深きを湛える碧色の瞳が、性質は限り無く近く遠い、昏さを纏う朱殷(しゅあん)の瞳に変わる
鳥は時間でも巻き戻されたかの様に凶暴さを引っ込めると、旋回し巣の中に音も無く収まった
何が起こったのか、街行く人には分からなかっただろう。そも気付いた者が居たかも定かではない
これは所謂知覚出来たかどうかの話だ
遠く櫓の上から傍観するしかなかったソフィーは、その光景に得も言われぬ怖気を感じた
全ての風景は手の届かぬ場所にある筈なのに、ケイネの瞳だけがまるで目と鼻の先にある様に見え、暫しの吐き気を覚えた
彼女の瞳の色が変じたその瞬間、世界は別の世界に呑み込まれ上書きされたかの様だった
水を張った桶に更に水を入れても何も起こらないが、油を加えると膜は出来るし虹色に歪む
つまりこの時遠く離れていたにも関わらず、ソフィーはその事象を知覚してしまい、無情にも絡め取られてこの水面に落ちたのである
水と油というのは比喩の一つではあるが、その異力(ちから)は彼女にとっては明確な異物だった為、体は拒絶反応を起こし内部から激しく揺さぶられた
元々特殊な生まれの者である彼女の事だ、そういう特異なチャンネルを持っていても何ら不思議ではない
ソフィー「(ああ、クソッ。私の雨でも洗い流せないやつだ。完全に油断してた・・・)」
吐き気はとうに過ぎているが、体全体に纏わりつく濃厚な魔力は倦怠感を誘発させてくる
それでも少し休めば状況は晴れるだろう
見れば桜花は何も知覚しなかったのかピンピンとしているし
ケイネは打って変わった様に落ち着き払った鳥を指に留まらせ愛でている
ソフィーはこの国に来てから自分を害すものが増えたなあ、と眉間を解しながら独り呟いた
第三十三雨
「粘つく狭間」
完
